心地よい、風が吹いてくる。暖かくもなく、冷たくもなく。

まるで、温度が無いかのように・・・









第1章 キンモクセイ

2000 .10 .06 .









長かった夏の蒸し暑さも消え、やっと秋らしくなり始めた。人々は装いをいつのまにやら半袖やノースリーブといったものから長袖へと変えている。
そんなことはお構いなしに1年中、長袖を着つづけている女がいた。
女はバスに乗っていた。そして本を読んでいた、異常なスピードで。乗客はまばらで、あと何駅かで終点というところであろうか。やがて乗客はその女ただ一人になり、程なくバスが止まった。そして運転手が女に向かって叫んだ。 「お客さーん、終点ですよ」
我に返り、本を取り落とした女が焦って場所を尋ねた。 「柿喰谷でーす」
「かき、くい・・・?」
不思議そうに女は呟いた。
女の落とした本には表紙に油性マジックでこう書いてあった。
『柴田純』・・・と。


警視庁の地下3階にある捜査一課弐係では、ある異変が起きていた。今まで、資料棚に山のように、数千冊は在ったであろう捜査資料が見事、残すところあと数冊という程になっていた。その原因を作った張本人柴田はというと、いつものように未だ弐係に姿を見せていないのであった。
弐係のメンバーはというと、暇そうに漫画を読んだり、熱心にパソコンに向かっていたり、柿ピーで一人オセロをしたり、捜査資料に没頭したりと、思い思いの時間を過ごしていた。
始業時刻もそろそろ6時間を過ぎようとした頃、柴田が息を切らして駆け込んで来た。
「すみませーん、遅くなりました」
いつものことなので、皆特に突っ込まずにそれぞれの作業に没頭しつつ挨拶をする。
そして柴田が席につこうとした、その時制服警官の今井夏紀(三十四・双子の母/夜泣きに悩まされ寝不足気味)が依頼人を連れてやってきた。
「失礼します。継続事件について御相談に見えた方が」
その後ろには若い女性が立っていた。
弐係では、あれだけ毎週のように来ていた訪問者が、最近では嘘のように全くいなくなってしまっていたので、久々の来客とあって皆一斉に入口に注目した。
「御相談とは何でしょう?」
一斉に注目されてか、はたまたこんなところに連れて来られてか、些か緊張気味の依頼人に、元係長、現在は指導員として未だ弐係にいる野々村が尋ねた。
「私、小学校で教師をしていまして、笹原春香と申します。
実は私、来月から、海外の学校にボランティアとして、派遣されることになりまして、今日お訪ねしたのは、日本を離れる前に、どうしても、解決して欲しいことがあって・・」
「解決して欲しいこと・・?」
今までにこにこして春香の話を聞いていた野々村は、もしや・・と嫌な予感がした。
「はい・・、1年前に、起きた事件なんですけど、その事件で私の親友を二人も殺されたんです。」
やっぱり・・と野々村の表情が曇る。弐係に訪ねてくる者で、今までまともな相談を持ちかけたものはいない、まともな相談ではないと分かっている筈なのに、失望させられる野々村であった。
立ち話もなんですからと、野々村が応接ソファへと案内する。柴田もソファの真ん中に陣取る。
「それで、その事件とは・・?」
「私の勤務している、小学校で、起きたんですが、とても酷い事件で・・・」
先程から途切れがちに話していた春香の目から、涙が零れた。

平成十一年十月六日午後六時、大田区立第3小学校裏庭で、同小学校に勤務する教師、中野香奈 当時29歳の他殺体が、用務員によって発見された。
発見当時、遺体及びその周辺には金木犀の花が大量に撒かれており、さらに遺体の両手の爪は全て剥がされていた。
死因は青酸カリによる中毒死。
同じく平成十一年十一月二日午前八時、同小学校裏庭で、安西弘樹 当時29歳 フリーターの遺体が、同小学校の児童らによって発見された。
先日と同様、遺体及びその周辺には大量の金木犀の花が、遺体を覆うように撒かれていた。死因は溺死によるものと見られる。
更に遺体の両目は刳り抜かれており、未だ発見されていない。


柴田がいつもの様に、書庫から探し出してきた資料を読み上げる。
「うわ、惨いことするやっちゃなー」
金太郎が横から資料を覗こうとしているが、異常なスピードで資料を捲る柴田の速さについて行けず、頭を上下左右に振るだけ。
「この小学校の・・・、子供たちの間で広まっている、古くから伝わる伝説の、呪いによって殺されたらしいんですけど・・」
「呪いですか・・・?」
柴田は呪いと聞いて、ソファから身を乗り出した。
春香は、話しながらも身体が小刻みに震えている。
「お願いです。どうか日本を離れる前に犯人が誰なのか、知りたいんです。」
弐係を暫しの間、沈黙が支配する。パソコンの機械音だけが響いている。
「わかりました、私達にお任せ下さい。」
「わいに任せたら、もう解決したも同然や。」
例によって例の如く、柴田と金太郎がほぼ同じタイミングで勢い良く返事をする。
「あっ、金次郎さんはだめですよ。まだ捜査中の”夜逃げ屋置き引き誘拐殺人事件”があるって昨日仰ってたじゃないですか」
「金太郎やって、何度言うたらわかるんかい。そういえば、その事件が残っとったか。よっしゃー、早速捜査しに行くでー。ほら、近藤さんはよう行きましょ」
「やめて下さいよ、まだ資料の打ち込みがー」
嫌がる近藤を連れ、金太郎は捜査に向かった。


2000 .11 .02 .へケイゾク・・・

>>BACK >>>>NEXT
UPDATE 2003.12.24   BGM * 柊